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八木宏 (プロレスラー) : ミニ英和和英辞書
八木宏 (プロレスラー)[やぎ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やつ]
 (num) eight
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

八木宏 (プロレスラー) ( リダイレクト:剛竜馬 ) : ウィキペディア日本語版
剛竜馬[ごう りゅうま]

剛 竜馬(ごう りゅうま、1956年3月23日 - 2009年10月18日)は、東京都新宿区三光町出身、神戸育ちのプロレスラー俳優。本名は八木 宏(やぎ ひろし)。なお、プロフィールは公称で、実際は神戸市出身である。
== 来歴 ==

=== 国際プロレス時代 ===
母子家庭で苦労する妹たちに楽をさせたいと〔剛竜馬ほどかわいそうなレスラーはいない ターザンカフェ 2009年10月22日〕、中学卒業を待たずに上京。日本プロレスに数ヶ月練習生として通い、1970年国際プロレス第1回新人選手公募に約2,000人の中から14歳の若さで選出される。1972年9月9日に群馬県藤岡市立体育館の米村勉(天心)戦でデビュー。
1973年になると、全日本プロレスとの対抗戦にも出場した他、遅れて入団した大卒新人の鶴見五郎と共に、清美川梅之預かりの海外武者修行に出され、カナダで一緒になった吉田光雄(長州力)と3,4ヶ月間タッグを組んだこともある。1976年7月に凱旋帰国し、国プロと東京12チャンネル主催のファン投票によって新リングネームを『剛竜馬』と決定。若く容姿にも恵まれた人気者で、次代の国プロを背負う期待の星と目されていた。当時の髪型は、後にトレードマークになる角刈りではなく、七三分けだった。また、別の時期には長髪にもしていた。
1976年11月25日には、初の金網デスマッチに挑戦し(対ジプシー・ジョー)、1977年には「第6回IWAワールド・シリーズ」並びにIWAワールド・シリーズと同時開催されたIWA世界タッグ王座争奪トーナメントに出場。IWAワールド・シリーズはBブロック6位に終わり、IWA世界タッグ王座争奪トーナメントはサンダー杉山とのコンビで出場したものの、準決勝でビッグ・ジョン・クイン&クルト・フォン・ヘスに敗退している(トーナメントはクイン&ヘスが優勝)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「剛竜馬」の詳細全文を読む




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